沿革
1932年 | 2月25日、内務大臣、鉄道大臣の認可により、鉄道の職域福祉事業を 目的とする財団法人鉄道弘済会を設立。(本部事務所を東京市麹町区丸の内1丁目3番地3の鉄道省内に設置。) 4月1日、東京駅乗車口、降車口、上野駅汽車口、電車口の10箇所で はじめて売店営業を開始。 |
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1936年 | 授産事業として、はじめて授産場を名古屋市に開設。 |
1943年 | 育英事業として、はじめて東京・中野区に学生寮を開設。 |
1944年 | 義肢製作事業を東京・台東区で開始。 本部を東京都下谷区上野元黒門町1番地に移転。 |
1949年 | 一般を対象とする福祉事業をも行うことに、 寄附行為の事業目的を改正。 |
1950年 | 国鉄旅行者の援護を目的として、 はじめて旅行者保護相談所(現旅行者援護所)を大阪駅構内に開設。 |
1951年 | 児童福祉事業として、はじめて保育所を和歌山市に開設。 |
1952年 | 援護事業として、国鉄関係者等を対象とした、 ケースワーク等による援助を行う福祉所25箇所を開設。 |
1953年 | 千葉県山武郡日向村に知的障害児・者施設「日向弘済学園」を開設。 児童福祉事業として、児童養護施設「札幌南藻園」を札幌市に開設。 |
1955年 | 老人福祉事業として、社会福祉法人「東京弘済園」を設立し、 1956年養護老人ホームを東京・三鷹市に開設。以後、軽費老人ホームを増設。 |
1957年 | 日本盲人福祉委員会と共催の「点訳奉仕者感謝の集い」を開催して、 奉仕者への感謝状の贈呈を開始。 (以後1970年まで毎年開催。 1971年以降は「朗読録音奉仕者感謝の集い」として継続して開催) |
1963年 | 知的障害児・者福祉事業の一環として東京・品川区に 「アフターケアセンター」を開設。 |
1965年 | 福祉センター「弘済会館」を東京都千代田区麹町5丁目1番地に設立し、 本部を弘済会館に移転。弘済会館内に「福祉相談室」「福祉資料室」を開設。 |
1969年 | 身体障害者リハビリテーション施設「東京身体障害者福祉センター」を 東京・新宿区に開設。 |
1972年 | 知的障害児・者施設「日向弘済学園」を神奈川県秦野市に移転し、 総合福祉センター「弘済学園」として開設。 |
1973年 | 駅売店の愛称をKiosk(キヨスク)と制定。 (全国の1,819駅で4,279キヨスクを営業) |
1984年 | 社会福祉法人「東京弘済園」を拡充し、特別養護老人ホーム、 老人ケアセンターを増設。 |
1987年 | 収益事業部門であるキヨスク事業の大部分を6つの株式会社に 分離・独立させる。 |
1989年 | 旅行者援護事業の一環として 「上野駅旅行者救急・援護サービスセンター」を開設。 |
1995年 | 育英事業として、東京・練馬区に「富士見台学生寮」を開設。 |
1999年 | 総合福祉センター「弘済学園」に自閉症児施設(第二児童寮)を開設。 |
2001年 | 大宮営業所の事業を東日本キヨスク株式会社へ委託した。 また、静岡営業所を東海キヨスク株式会社に事業譲渡した。 |
2004年 | 埼玉県戸田市に「戸田駅前保育所」を開設。 |
2005年 | 埼玉県さいたま市に「与野本町駅前保育所」並びに併設して 「与野本町駅前デイサービスセンター」を開設。 |
2006年 | 大宮営業所を東日本キヨスク(株)に事業譲渡した。 (キヨスク事業を完全分離) |
2008年 | 社会福祉法人「東京弘済園」にケアハウス「弘陽園」と「弘済保育所(おひさま保育園)」を開設。 東京都新宿区の東京身体障害者福祉センターを荒川区南千住に移転、「義肢装具サポートセンター」に改称し開設。 |
2011年 | 東京都荒川区に「南千住駅前保育所」を開設。 総合福祉センター「弘済学園」において児童デイサービス事業、 放課後支援事業を開始。 |
2012年 | 弘済学園「アフターケアセンター」、「与野本町駅前デイサービスセンター」、 「東京駅旅行者援護センター」及び「名古屋駅旅行者援護所」の業務を終了。 |
2012年 | 義肢装具サポートセンターに天皇・皇后両陛下の行幸啓を賜る。 |
2013年 | 公益財団法人へ移行する。 |
2015年 | 福祉所の業務を順次終了。 |
2016年 | 「弘済学園」において児童発達支援センター「すきっぷ」、 地域生活支援センター「わくわく」を開設。 |
2017年 | 「札幌南藻園」において小規模分園「ひまわり」を開設。 埼玉県さいたま市に「上木崎保育所」を開設。 |
2018年 | 新聞雑誌取次事業を廃止。 |
2019年 | 福祉所業務を廃止。 |